倉敷駅ビルには、かつてシティホテルがあった。

倉敷駅ビルには、かつてシティホテルがあった。

JR西日本ホテルズグループの倉敷ステーション開発(株)が運営する「ホテル倉敷」だ。
2010年(平成22年)11月末をもって、営業を終了している。
廃業の数年前には、高度なセキュリティに守られた館内ネットワークの施工もさせて頂いたが、ここでは割愛する。

当時のホテル倉敷

1983年(昭和58年)開業の同ホテルは、当時倉敷国際ホテル、倉敷アイビースクエアと並び、倉敷を代表するホテルであった。
8階建ての駅ビルは、現在3階から上が撤去され、その面影を知る余地もないが、沢山の思い出が詰まったホテルだった。
弊社起業時には、すでに客室冷蔵庫システムと連動した「ホテル映像情報システム」、所謂PAY-TVの設備が導入されていた。
この設備の保守メンテナンスの仕事を弊社で請け負うことになり、ホテルへの出入りがスタートした。

今では考えられない当時のアドレス設定方法

当初のシステムは、専用線方式の客室冷蔵庫システム上に付加された形で、有料ビデオシステムがあった。当時、旅館・リゾートホテルはほとんどがこの方式だった。
従って、客室の端末機は冷蔵庫裏の放熱板に挟まれていた。
メンテナンスの際は、これを引き出し、特殊ビスで止まった蓋を開いて点検する事になる。

フロントとの通信エラーによって不具合が見つかるが、端末機が故障しているとなると大変で、これを交換する事になる。
端末機には、それぞれ部屋を特定するアドレスが振られている。
普通に考えると、基板にディップスイッチがあると思うが、当時の物はなんとジャンパー線方式で、3列の中央の端子からジャンパー線を左右に振る方式だった。しかも半田留め。「アドレス設定が半田留め?」って感じ。
2進数の変換表を基に、左右に振り分けながら半田していく他なく、大変手間取った思い出がある。

極めつけは、ある年の大晦日の晩に一人、ホテルの一室でこのメンテナンスをした事。忘れる事が出来ない。

業務用VTRのオーバーホール

当時、映像センターの送出機は、業務用VTRプレーヤー(松下電器製)2台に交互運転機1台の構成で、3チャンネル+ガイドチャンネル用で、計8台のビデオデッキがあった。
業務用VTRは稼働時間が長いため、摩耗も激しく、毎年オーバーホールが必要だった。

このオーバーホール作業に外注サービスマンが来るのだが、一日ですべてのオーバーホールをやり遂げていく。
専門とはいえ、大したものと感心したが、その修理費たるや二十数万円。これを一人で一日で稼いでいく事にも驚かされた。
高額時給とは良い儲けではあるが、かと言って毎日有るわけでもなく、妥当な技術料と言うべきだろう。
その後、このサービスマンとは、いろんなホテルのオーバーホールを依頼することになり、良きブレーンになった。

AMバンドにBS-IF帯域を追加する難しさ

ホテル倉敷の「ホテル映像情報システム(PAY-TV)」は、ある年プリペイドカード方式に刷新することになり、映像送出装置の一部は、VTRからLD(レーザーディスク)へと進化を遂げた。
そして数年後には、通信衛星番組の受診放映もスタートした。
しかし、ここでも問題が発生した。

当時、ホテルのナイトパネルには、AMラジオの選局ボタンがあった。
そこへ、テレビも刷新したため、BS放送も受信できるようにしたいとの要望が出てきた。
弊社は、元々アンテナ共聴設備事業からスタートしているため、これがいかに困難な要求かすぐに分かった。
AMバンドからBS-IF帯域まで、出来るだけフラットに客室まで届けなければいけない。
当時はBSの普及とともにAMバンドの伝送は見捨てられ、FMバンドから上の帯域に主眼が置かれていた。
その為、この様な広帯域をカバーする機器は日本アンテナのみが製造していた。

もう一点は、ホテルガイドチャンネルのソフト制作だ。
当時、駅北側にチボリ公園が出来て、にぎわっていた。
そこでチボリ公園と倉敷美観地区、備中国分寺など倉敷周辺の観光ガイドを取り入れた、館内放送用ガイドチャンネルの要望が出てきた。
制作費に割く予算がないとの事で、殆どPAY-TVシステムのオマケ的に制作することになり、観光ガイドの部分はほとんど一人で撮影・編集作業をして、何とか低予算で完成させた。
もっともPAY-TVシステムの入札で、弊社の強みであるソフト制作(ガイドチャンネル)を付加して差別化を図ったことが落札に結び付いたとも言える。

ビアガーデンの大スクリーンを設置

楽しい思い出もある。
ホテルの屋上は、「アリゲーターサン」と言うビアガーデンがあって、夏場はとてもにぎわっていた。
ここに大型スクリーンを設置して、ビアガーデンの客にナイター観戦を楽しんでもらおうという話が持ち上がった。
普段は一般の人の目に触れることのない、縁の下の力持ち的な仕事であるが、流石にこれは駅周辺からも目立ち、我社としてもよい宣伝材料となった。
倉敷では、この大スクリーンがあった事を覚えている方は多いと思う。


屋上の壁面に、260インチ程度の大スクリーンを設置することにしたものの、肝心のプロジェクターの設置場所に悩んだ。
当初、システムラック上に設置する案が進行していたが、ビアガーデンの真ん中に設置すると、視聴を邪魔するのと、機器の管理上も問題があるとの事でNG。
幸い、会場中央付近に照明ポールが有ったので、最終的にはボックスを特注して、これに取り付けることにした。高さは2メートル弱くらいだったと思う。
ところが、対するスクリーンは人の邪魔にならない高さにしなければならず、下場を2.5メートル位にした。その上で、出来るだけ明るく見やすくするため、スクリーンにあおり角を付けた設計にした。
実寸を元に縮尺図面を起こし、少し上向きに設置したプロジェクターがなるべく直角に照射できるよう計算から角度を導き出した。
加えて庇と袖幕を付けて、出来るだけ遮光した。当時のプロジェクターの輝度は現在の家庭用よりもはるかに暗かったからである。

数年後には、業務用の2灯方式のプロジェクターに買い替えて頂いたが、当初は全く予算がなく、驚くような低予算で実行した。
後で聞くと、内容に多少違いはあるものの、概ね対抗業者提示価格の3分の1の価格だったことを知らされた。
もっと驚いた事は、この設備費用はホテルが負担することはなく、ほぼ全額を飲料会社に出させたことだ。
スクリーン下の黒帯に、提供会社の社名を入れることが条件にあった。これもカッティングシートで制作した。

その後、駅ビル屋上のこのスクリーンは多くの人々の目に留まり、我社としては利益を度外視しても宣伝効果は大きかったかと思う。
時代の流れとは言え、耐震構造上の問題から駅ビルそのものの上部を取り壊し、ホテルも廃業し、一世を風靡した屋上ビアガーデンがなくなったことは、一抹の寂しさが残る。
当時の大変懇意にして頂いた歴代の支配人はじめ、担当者の顔が思い起こされる。



公開日:2023年2月08日 | 最終更新日:2023年2月08日
カテゴリー よもやま話